■技術者への提言6 批判的精神のあり方 2016/3/16掲載

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科学や技術の世界においては、過去にどれほど輝かしい業績をあげた人の仮説であっても、鵜呑みにしてはいけないと思う。科学や技術の世界では、常に、批判的精神で新たな仮説を吟味するのが通例です。

批判は、感情的なそれとは全く性質の異なるものであり、どれほど正しそうに見えるものでもどこかに論理の飛躍がないか、論理的矛盾がないか、実験の条件は結論を導くにあたって満足できるものなのか吟味を十分にすることが科学的な批判的精神です。

しかしこのような批判的精神は、本当は何も科学や技術の世界に限ったことでも何でもありません。ごく当たり前のことゝとして日常的になされるべきことではないでしょうか。日常生活においても、このような批判的精神は持つべきでと思います。



ところが、昨今、インターネットでは、行き過ぎた感情的な批判が横行しているように思われないでしょうか。

例えば、最近出版された小保方晴子さんの『あの日』の書評が好例です。

これでもかというほどに高い目線で且つ、感情的な批判の嵐のように私には感じられます(いじめの心理に酷似しているような)。

勿論、感動したという好意的な書評の方も相応にいますが、感じるところ、すさまじいまでの批判の嵐であり、エンジニアの端くれの私にとっては心底、驚くべき光景です。有利な方向になびく日本特有の風土なのか・・・・・

いよいよ間違いらしい、ということが前面に出てきた当時、マスコミや評論家が、水を得た魚のごとく、激怒を持って批判していたことを思い出します。

STAP細胞など存在しない、ということが今回の実験ではっきりしたなどという呆れた新聞・TV報道などもありました。

考えてみてほしいのです。

科学者であるなら、STAP細胞が存在しないということを主張することは論理的に不可能であることを知っているはずです。

例えば、「白いカラスは存在しない」と誰かが主張したとします。

これを証明するためには、世界中のカラスをしらみつぶしに調べる必要がありますがそれは不可能なことです。
何故なら、すべてのカラスを調べたという保証は決して得られないからです。
このように、「○○が存在しない」という主張は自然科学の世界では成り立たないのです。

数学のように、条件設定や境界設定が明瞭な場合、「○○が存在しない」と主張することができます。

よく知られた例は、「自然数に最大数は存在しない」とういうものです。
若し、Mが自然数の最大数だと仮定すれば、"M+1" はさらに大きい自然数ということになるのですから。

当時の評論家・マスコミ関係者の論調は異常な加熱ぶりです。
まるで「現代の魔女狩り」の様相を呈していないだろうか。

なるべく、否、最大限の冷静さで中立を心掛け、理性を求めるべきマスコミ自体がそもそも異常な加熱振りなのですから。

このような一連のSTAP騒動は、批判的精神のあり方が誤った方向へ行くと、
とんでもないことになるのだという好例ではないかと思います。

このような加熱ぶりは、第二次大戦中の "非国民”という標語でまともな人々が当局に密告されたり批判されたりした状況とも非常によく似ていように思えます。

感情的ではなく科学的な批判的精神と、それに基づく判断力があったならば、このような魔女狩りの類は起こらなかったことでしょう。

科学や技術の世界では、適切な批判的精神が必要不可欠であり、このような多勢の勝組に乗る感情的な多数支配はあるまじきことではないか、と思います。

2016/3/15 by Y.K